毛氏書童王文祥

13書体で書く「毛沢東詩詞集」

 王文祥は毛主席の書にある雄大なる気迫、ロマンチック、豪快な書風をよく学んだ上、改革開放という創造求新の時代の流れを踏まえ、個人の趣味を加え、自分なりの書を形成した。その作品は力強さと柔らかさが並存、端正の中に流暢が見られ、厳粛の中にロマンチックがあふれ、大家の風範を示している。彼は甲骨文、大篆、小篆、隷書、漢簡、魏碑、行書、楷書、草書、行草、章草、痩金体にわたる12種類の書体を精通するのに加えて、毛体(毛沢東)にも心得がある。13書体でそれぞれ「毛沢東詩詞集67首」を書き終わり、全部で13冊である。これは古今書道史においても初めてのことだし、書道の伝統を受け継ぐ上には大きな意義がある。彼の行草は龍蛇が走るごとく、自由奔放、気象万千;篆書は秀麗精美;魏碑は沈着穏重、端正流暢;甲骨文は古拙重厚、典雅厳粛。13種類とも規範を厳守して、すばらしいである。

 詳細は下記の中国語版のホームページでご覧ください。

  http://www.maoshishutong.com/shufazuopin.html

 

書体の変遷

 東洋における文字の起源は、中国.殷の時代の「甲骨文」だと考えられている。

 甲骨文(こうこつぶん)は亀の腹甲や牛の肩胛骨などに刻し、占った内容や結果などを記録する王室の占いの記録文である。1899年河南省安陽小屯(殷墟)で発見され、中国最古の文字である。

 殷から周にかけて青銅器などの金物に鋳込まれた文字を「金文」(きんぶん)、さらに秦時代の石の太鼓に刻まれた文字を「石鼓文」(せっこぶん)といい、この石鼓文が「大篆」(だいてん)という書体の典型といわれている。

 秦の始皇帝は天下を統一すると、文字の統一に着手する。その際、「大篆」の簡略体である「小篆」(しょうてん)を作らせ、公式の文字とする。ここまでの「甲骨文」から「小篆」まで総称して「篆書」とする。

 秦代の程みょうという人が「小篆」を簡略化した書体を発明し、「隷書」と呼ぶ。この「隷書」の「隷」は「小篆」に隷属する書体という意味だともいわている。

 その後の「漢簡」は漢代の木竹簡を指すのである。木竹簡とは、木と竹を材料として、その上に文字を書いたものである。木片を用いたものは「木簡」、竹片を用いたものは「竹簡」である。帛と紙が発明される前、あるいは普及されるまで、古代の文書や記録はすべて木竹簡の上に書かれている。故に、秦漢以前の書道墨跡は簡帛に見られるしかない。漢代の木竹簡の隷書は戦国後期から秦が中国を統一した間にはが出た。隷書の特色を代表している波磔(はたく)が見られ、これは後人のいう「八分(はっぷん)隷書」で、波磔がない秦の隷書を「古隷」(これい)という。

 秦が滅亡し漢の時代になると、この「隷書」が公式文字として使われるようになる。そして、「隷書」が日常で速書きされていくなかで「章草体」、やがて「草書」が生まれる。

 同様に、「隷書」から「行書」(ぎょうしょ)が生まれ、「隷書」の速書きを整えて書くころから「楷書」(かいしょ)が発生する。

 「草、行、楷」の発生順序はいくつ説があるが、「隷書」を基に「草書」「行書」「楷書」が生まれたというのは確かなようである。